庵野秀明 プロフェッショナル仕事の流儀を拝見して

こんにちは。エバンゲリオンの作者庵野秀明氏がプロフェッショナルという番組に出演していたので、その感想を番組内の言葉を選んで書いていきます。好き勝手書いていますが、お許しください。私は庵野さんのことは名字ぐらいしか知らなかったので、私の庵野さんへの第一印象ということで、よろしくお願いします。

今作で終わらせる

番組に出たきっかけは商売とおっしゃっていましたね。前回の作品で終わらせたつもりが、反感を食らって自殺まで考えたことがあったとも。作者の意図をくみ取れなかった人たちが、作者と意図したこととは反対のベクトルをもってしまったということでしょう。その人たちのためにも納得いく形で今回終わらせたいんでしょう。

庵野氏は怒ってる?

父のことに触れていましたが、庵野氏自身も社会に怒りを感じている人ではないのでしょうか。碇(怒り)シンジというぐらいですからね。シンジのことを一番自身の感情出してるっておっしゃっていましたよね。自分自身の鏡に近い存在がシンジなんでしょう。この世の中の不平等感?見えない力にどうにもならない怒りというかそんなものを感じる次第です。また、庵野氏は日常において、自己表現が苦手なのかもしれない。しかし、作品を通してなら、それができることに気づいたのかもしれません。それゆえ、自分自身の存在を確かめるような作品作りになるのかもしれないですね。本当、魂込めてるっていう気がします。庵野氏は師と仰ぐ宮崎氏の影響を受けたのか存じませんが、作品に命をかけすぎのような気がします。決して時代にあった作品作りとは言えず、これを支えている奥様、スタッフは本当にすごいなぁと驚かされました。でも命より作品が上っていう庵野氏の言葉を聞いて、合点がいったというか。なんかそういうことを平然と言えるところが、もうモンスターです。

欠けてるからいい

欠けてるから愛しいというか、面白いとおっしゃってたのは、人間誰でも欠けているところがあって、聖人君子みたいなやつはいないのだから、みんなを肯定的に捉えようというのが感じ取れました。また、人の人生変えてきたってことに関しての質問には、複雑な面持ちだったのも印象に残りました。でも作家って少なからず誰かに影響は与えていますからね。

受け手側の変化

庵野氏のこの作品に込める熱量を感じながら、番組を拝見している中で、次の言葉に作品を作り直すきっかけがあったのだと思いました。こちらの言葉です。
「謎に包まれたままだと置いていかれちゃう。面白いですよっていうのをある程度出さないと、うまくいかないんだろうなっていう時代かなって。謎に包まれたものを喜ぶ人が少なくなってきてる。」
これは庵野氏が今の受け手側の状況を分かりやすく解説してくれた言葉だと解釈しました。庵野氏はこうもおっしゃっていました。ちょっとはっきりと覚えていませんが、僕が面白いものは(一般には面白くない)うけない。だったかなぁみたいなことおっしゃってて、作品からある程度作者のメッセージを読み解くような文学っぽい作品を最近の受け手は好まないというか、楽しめなく(理解できなく)なってきているということなんでしょう。分かりやすさ(コスパ)を求めた教育も背景にはあるのかなって感じている次第です。ただ、作品のメッセージを楽しむにはある程度の見識は必要ですけどね。ですから今回あえて、前回より分かりやすい一般大衆向けに作り直したのかなぁって考えている次第です。きっとどうしても伝えたいエゴが込められているのでしょう。この番組を拝見して庵野氏にものすごく興味がわいてきました。庵野氏の作品をじっくり見てみようと思います。楽しみにしています。それでは。

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