注意してくれる人は大切に・言われるうちが華

こんにちは。相城です。

注意してくれることはありがたい

みなさんまだ、子供という前提でお話ししますと、保護者の方に注意されて鬱陶しいなって思ったことございませんか?うるさいなぁとか。
でもこれって大切なことなんですよね。きっと気づくのは大きくなってからだと思うんですが。
実は大きくなってくるにつれて、あまり注意されなくなるというか、叱られなくなるんですよね。個人差はあると思うんですが。
その人の持っている雰囲気って大事で、注意しやすそうな人と、そうでない人がいます。その人の持ってるものなんですけど。日頃から何か頼まれごとをされている人は、きっと言いやすい人なんですよ。それがその人の持っている雰囲気。日頃からあまりものを頼まれないのもその人の持っているもの。立場や経験から言いやすさっていうのもあるでしょう。
でも年齢や立場を気にせず注意してくれたり、叱ってくれたり、意見行ったりいてくれる人って大切なんですよね。

イエスマンはいらない

例えばイエスマン(なんでもイエス(はい)という人)に相談しても意味ないでしょ?
例えばこんな場面
A「俺こうしたいんだけど、どう思う。」
B「Aがおっしゃるなら、いいと思います。」
C「私はこうした方がいいんじゃないかと。」

BよりCのほうが、相談のし甲斐がありますよね?
このように意見してくれたり、注意してくれたり、叱ってくれる人って大切なんですよね。そして、そのCの意見を何だこのやろうっていうんじゃなくて、くみ取って考えることが必要になります。そして考えた結果、こうしようと思うということをCに伝えることで、Cはそうやってぼくの意見も聞いて、考えてくれるんだ。今度も言ってみようってなるんですよ。

注意してくれるうちが華

だから、よく言いませんか?
「言われるうちが華」だって。
注意されなくなったら、言っても無駄。つまり相手にされなくなります。
そうすると、自分の舵取りの方向が間違っていたとしても誰も何も言ってくれません。これが「裸の大様状態」です。裸で歩いてて(舵取りを間違って)も誰も注意しなくなります。
こうならないためにも、日ごろから人の意見や注意に耳を傾け、謙虚に自分を見つめ直す必要がありますね。

ですから、サイトの間違いを指摘してくださる人ってものすごく僕にとってはありがたいんですね。また、自分自身も私生活では言いづらい雰囲気ってあると思うので、気を付けていきたいですね。それではまた。

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